【幽学肖像画】
当館蔵。没後に描かれたものですが、もっともよく似ているといわれた肖像画です。


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生涯と業績


原幽学おおはらゆうがくは天保、嘉永、安政にかけての混乱した世相の中、長部村(ながぺむら):現千葉県旭市を中心に房総の各地をはじめ信州上田などで、農民の教化と農村改革運動を指導し大きな事績を残した人物です。道徳と経済の調和を基本とした性学(せいがく)を説き、農民や医師、商家の経営を実践指導しました。

前半生は各地を遍歴していたらしいのですが、その経歴は明らかではありません。天保13年(1842)には香取郡長部村に定住しています。天保4年頃から独自の実践道徳である性学の教説活動を始め、弟子として入門する者が次第に増えていき、研修施設や教導所が作られ会合や講義が行われました。



門人達は道友(どうゆう)と呼ばれ、長部村に腰を落ち着けた幽学は、性学道友の農民を指導し農村の復興を図り、農業協同組合である先祖株組合(せんぞかぶくみあい)をはじめとして農民が協力しあって自活できるように各種の実践仕法を行って成果をあげました。

しかし急激な性学運動の発展と農民が村を越えて労働と学習を共にしたことが幕府の怪しむところとなり、幽学は幕府の取り調べをうけた末、有罪となり、失意のうちに安政5年(1858)3月8日、自殺により62歳の生涯をとじたのです。


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略年譜
年号 西暦 年齢 主な事蹟
寛政9年 1797 1 3月17日、尾張藩(現名古屋)大道寺家の出と伝えられる
文化11 1814 18 3月、生家を勘当され漂泊の生活が始まる
文政6 1823 27 2月、近江国(現滋賀県)伊吹山松尾寺に寄寓し、住職提宗に学ぶ
天保元 1830 34 3月、再び提宗和尚を訪ね、その激励をうけて社会運動の実践を決意
天保2 1831 35 信州上田および小諸で講義をし、門人が増える
      8月、上田を去り江戸に向かい、その滞在後に浦賀から海路にて安房国(現千葉県)に入る
天保6 1835 39 8月、名主遠藤伊兵衛の依頼で初めて長部村を訪れる
天保9 1838 42 9月、長部村に先祖株組合を結成する
天保12 1841 45 2月、長部村で土地の分合、耕地整理を行う
天保13 1842 46 9月、遠藤伊兵衛ら幽学に住居の提供をする
嘉永元 1848 52 2月、領主から模範村として表彰される
嘉永3  1850  54 4月、門人増加にともない、教導所である改心楼が完成する
嘉永5 1852  56 4月、関東取締出役の手先が改心楼に乱入する事件が起こり、これをきっかけに幽学の取り調べが始まる
安政4 1857 61 10月、事件の判決が下り、幽学は押込百日を言い渡される
安政5 1858 62 3月8日未明、長部村の墓地で自刃を遂げる

 
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