展示資料からいくつかをご紹介します |

■■■最新千葉県大地図 (奥)
昭和41年1月20日発行/日本教図株式会社
干潟中学校で使われていた学校教材用の千葉県地図。
成田空港もまだなく、高速道路(東関東自動車道)の千葉
―佐倉間も建設予定中。
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■■■後田遺跡出土品
うしろだ遺跡は干潟町の町道造成にともなって、平成7〜9年に調査が行われた遺跡で古墳8基、竪穴住居跡6基、竪穴遺構4基をもつ。古墳時代前期の遺構をふくみ、出土品も貴重なものが見られる。
香取郡市文化財センター旧蔵
(上)直刀
先が欠けているが、本来は全長81p前後のもの。
卵形の鐔(つば)が残っている。
(下)ガラス玉とんぼ玉
遺跡の木棺葬施設から出土した、トンボ玉2個、
ガラス玉156個。大・中・小と3種類の大きさがある。
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■■■戸村角兵衛算法叢書ノ一
小輪轉大輪内周設黒積術解
天保年間
群馬出身の和算の大家であった剣持章行に
よる直筆の和算書。和算(わさん)とは江戸時
代に発達した日本独自の数学のこと。 |
■■■年中行状日記帳(平兵衛日記)
この日記は野田村(現小見川町野田)の高木家に伝
わる記録で、天保11年(1840)〜明治33年(1900)、高
木家三代により全58冊が残る。代々の当主は平兵衛
を名乗ったため、「平兵衛日記」と呼ばれている。天保
年間当時、高木家は幽学の門人だったため、野田村
での性学活動の記載がしばしば登場している。 |
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■■■出征軍人書簡
昭和15年頃
日華事変(日中戦争)時のもの。
村長、銃役奉公会や役場宛に慰問品の御礼や戦地
での様子を知らせている。 |
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■■■書法
幽学自筆の書き方手引き書。
筆のはこびかたを示している面白いもの。
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■■■脇差
幽学の門人だった家では今も多くの資料が
伝えられるが、その中でも特に大切にされて
きたのが刀(脇差)である。幽学は刀の目利
きを得意とした。彼は江戸などに出かけては
門人たちのために刀を選んで購入し、後にそ
れぞれに渡している。 |

■■■火縄銃用具一式 |

■■■節句ののぼり
今回もっとも巨大な展示資料。
こいのぼりの登場前はこうした
勇壮な武者絵が描かれたのぼ
りが軒先を飾っていた。
展示室に入らないため階段部
分に吊して展示。 |
これらは展示資料の一部です
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