長部城址 |
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三方を水田に囲まれた半島状台地丘陵を利用した、単郭方形の城で水城ともいわれています。幽学遺跡全体が、この中世城址の一部に位置し、公園は城郭の雰囲気をそのまま残す地形となっています。
かつては要害とよばれていましたが、現在は龍ケ谷と称する高台を中心として、空濠の一部と月見台と称する物見台の跡があります。
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もともとは府馬城の一族である松沢氏が9代に亘って居住していたと伝えられています。天正年間に里見義康によって攻略され、落城してしまったといわれています。 |
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関連項目
龍ケ谷
ひかたの歴史と民俗第7号
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